「小泉八雲とジェームス・ジョイス」大使レター(6月)
令和8年6月30日
在アイルランド日本国大使館からの虹の風景(令和8年6月撮影)
初夏の候、読者のみなさまは如何お過ごしでしょうか。アイルランドは、まるで冬の間の日光不足を一挙に解消せんばかりに、晴れの日が続く一月でした。それでも、日によっては、アイルランドならではの一日の内に四季を見せようとの日もあり、そうした日には、空には様々な角度の虹がかかります。
小泉八雲―ラフカディオ・ハーン日本庭園(アイルランド、ウォーターフォード県トラモア)(令和8年6月27日撮影)
小泉八雲―ラフカディオ・ハーン日本庭園(アイルランド、ウォーターフォード県トラモア)(令和8年6月27日撮影)
今月は、アイルランドの2人の偉大な文学者とゆかりのある日がありました。1人は、小泉八雲(1850-1904)。もう1人は、ジェームス・ジョイス(1882-1941)です。というと、アイルランド人の読者の中には、「小泉八雲って誰でしたか?」と思う方が、結構たくさんおられるのではないでしょうか。
小泉八雲。英名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。日本では、「ああ、あの「のっぺらぼう」の話を書いた人ですよね」とか、「NHK朝ドラ「ばけばけ」見ました」とか、「昔、学校の教科書で習いました」といった反応がある、多くの人が知る人物です。ギリシャ人の母親とアイルランド人の父との間に生まれ、幼少期をアイルランドで過ごし、その後、アメリカでの記者生活を経て、1890年に日本にやってきたラフカディオ・ハーン。松江で英語教師として働き、小泉せつと結ばれ、文字通り日本の生活にどっぷりと浸かり、日本の良き理解者、そして日本について英語を介して世界に知らせる伝道師として、その生涯を日本で終えた偉人、日本の恩人です。
小泉八雲。英名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。日本では、「ああ、あの「のっぺらぼう」の話を書いた人ですよね」とか、「NHK朝ドラ「ばけばけ」見ました」とか、「昔、学校の教科書で習いました」といった反応がある、多くの人が知る人物です。ギリシャ人の母親とアイルランド人の父との間に生まれ、幼少期をアイルランドで過ごし、その後、アメリカでの記者生活を経て、1890年に日本にやってきたラフカディオ・ハーン。松江で英語教師として働き、小泉せつと結ばれ、文字通り日本の生活にどっぷりと浸かり、日本の良き理解者、そして日本について英語を介して世界に知らせる伝道師として、その生涯を日本で終えた偉人、日本の恩人です。
小泉八雲記念庭園の「こころヘリテージ・センター」開所式(令和8年6月8日、アイルランド、ウォーターフォード県トラモアにて撮影)
6月27日(土)は、小泉八雲の誕生日。筆者は、ウォーターフォード県トラモアにある小泉八雲記念庭園をふらっと再訪しました。6月8日(月)に、新たに増築された「こころヘリテージ・センター」のカフェにて週末の一時をゆっくりと過ごそうと、雨が降ったり止んだりする中、ダブリンから2時間余りの道のりを運転しました。カフェのドアを開けると、奥のテラスの手前のテーブルには、どこかで見た顔と長身のシルエットが。アイルランドにて、長年にわたり、ラフカディオ・ハーンの人生をアイルランドの人々に広めてきた、アグネス・エイルワードさん(令和7年旭日双光章受章)と夫のショーンさんでした。家内と共にお互いに驚きながら挨拶し、その後、近くにある御夫妻の御自宅にお邪魔いたしました。アグネスさん御夫妻とは、何度かお会いしてお話ししたことがありましたが、今回は、更にラフカディオ・ハーンのこと、6月27日のアイルランドの主要新聞に「こころヘリテージ・センター」開所式の様子をまとめた記事が掲載されたこと、日本人とエルワード家の交流の歴史などお聞きすることができました。
ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」の一節の朗読(令和8年6月16日、マーテロ・タワー屋上にて撮影)
ベルヴェデール・カレッジでのブルーム・デイの朝食(令和8年6月16日撮影)
小泉八雲に比べると、ジェームス・ジョイスは、アイルランドの読者には説明不要かと思われます。八雲が日本の地を踏んだ1890年には、アイルランドが生んだ20世紀最大の作家、ジョイスは8才の少年であり、八雲臨終の1904年には20才を少し過ぎた青年でした。2人の人生が交差した20余年。日本にとっては明治維新から文明開化、富国強兵の道を歩みつつあった激動の時代。アイルランドにとっても、小作農の立場を改善する農地改革の進展、英国からの自治を求める不断の動き、更にはアイルランド独自の文化や言語の復権を目指す運動の高まりなど、やはり1つの歴史の転換期であったと聞きます。欧州在住のジョイスと日本で過ごしたハーンの接点はなかったのでしょうが、八雲が日本での生活を始めた頃、ジョイスはダブリンのベルデヴェア・カレッジでの高校生活を送り、その後ユニバーシティー・カレッジ・ダブリンに入学し、卒業直後、どうやら八雲臨終の1904年には、未来の妻となる女性と出会い、欧州大陸に引っ越したようです。
そして、1904年といえば、ジョイスの代表作「ユリシーズ」(1922年)は、同年6月16日のダブリンでの一連の出来事を綴った長編物語です。アイルランド各地で、毎年6月16日はブルームの日(「ユリシーズ」の主人公レオポルド・ブルームにちなむ)として、友人、一族郎党集まり「ユリシーズ」を朗読する習慣があります。アイルランド在住1年目の筆者にとっては、驚きの連続の1日でした。公邸のある地元ダン・レアリー区にあるジョイスが6日間滞在したとされるマーテロ・タワーの屋上での「ユリシーズ」朗読会見学に始まり、作家の出身高校ベルデヴェア・カレッジでのジェームス・ジョイス協会主催の朝食会、夜には、アイルランド・日本友好議連のイマー・カリー会長はじめメンバー議員の方々と館員とともに、人生初の「ユリシーズ」朗読にも参加しました。
そして、1904年といえば、ジョイスの代表作「ユリシーズ」(1922年)は、同年6月16日のダブリンでの一連の出来事を綴った長編物語です。アイルランド各地で、毎年6月16日はブルームの日(「ユリシーズ」の主人公レオポルド・ブルームにちなむ)として、友人、一族郎党集まり「ユリシーズ」を朗読する習慣があります。アイルランド在住1年目の筆者にとっては、驚きの連続の1日でした。公邸のある地元ダン・レアリー区にあるジョイスが6日間滞在したとされるマーテロ・タワーの屋上での「ユリシーズ」朗読会見学に始まり、作家の出身高校ベルデヴェア・カレッジでのジェームス・ジョイス協会主催の朝食会、夜には、アイルランド・日本友好議連のイマー・カリー会長はじめメンバー議員の方々と館員とともに、人生初の「ユリシーズ」朗読にも参加しました。
NTT DATAの新社屋開所式での除幕式におけるピーター・バーク企業・観光・雇用大臣(左)と筆者(右)(令和8年6月撮影)
アイルランドの2人の偉人が、両国の激動の時代に打ち上げた文学を通じた日本とアイルランドの交流。今も、時代を超えて、様々な形で、日本とアイルランドの様々な場所で脈々と続いているのではないかと思わせる6月でした。それでは、また、来月、アイルランドのどこかで、あるいはこのページにてお会いできることを楽しみに。読者のみなさまのご自愛のほどお祈り申し上げます。
駐アイルランド日本大使
宮川 学
駐アイルランド日本大使
宮川 学