「AIが日本とアイルランドにもたらすもの」大使からの手紙(9月)

令和8年9月30日
ダブリンのトマト(令和8年9月撮影) ダブリンのトマト(令和8年9月撮影)
ケリー県カヒーシビーンのダニエル・オコンネルの生家跡(令和8年9月撮影)
拝啓、
秋冷の候、読者のみなさまにおかれては、如何お過ごしでしょうか。秋と言えば、実りの秋、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋などさまざまですが、ここアイルランドもすっかり秋めいてまいりました。
私は、今月初旬、アイルランドのとある政治家の方と、夕食会の席上、さまざまなお話をする機会に恵まれました。最も印象に残ったのが、19世紀前半のアイルランドの偉人、ダニエル・オコンネルの生涯についての話です。1775年、アイルランドの南、ケリー県カハンに生まれたオコンネルは、1829年、カトリックの解放、即ち、それまでアイルランドのカトリック教徒に課されていた様々な制約を取り払い、政治、社会、経済的にカトリックがプロテスタントと平等な立場に立つ道を開きました。オコンネルは、平和的な手法で、大勢の参加者を得た「モンスター集会」を開催することを通じて、カトリックの解放を成し遂げ、現在のアイルランド社会、政治の礎を築きました。
デリナン・ハウス(ダニエル・オコンネル家先祖代々の住居)(令和8年9月ケリー県にて撮影)
デリナン・ハウスに保存される勝利の馬車(令和8年9月撮影)
当時は、現在のようにITやAIもなかった時代ですが、オコンネルが、多くの人々の心を掴むことができたのは、同人の指導力であり、そしてその源泉となったのは、同人が、時代が求める変革を体現する人格をもった存在であったためと想像します。
オコンネルの時代から200年。今日、私たちの身の回りでは、膨大な情報が、瞬時に世界中に共有される状況が生じています。個々人の趣味や嗜好に合わせて、AIが先回りして、疑問に答え、提案を示すことは日常茶飯事です。にもかかわらず、というべきか、だからこそ、でしょうか、世界は分断の時代にあるとも言われます。情報は膨大であるが、選別されて、耳に痛いことは聞かないで済む場合が増え、結果として、偏った物の見方に陥り易いとしたら、皮肉なことに、現在は、昔よりも生きづらい時代なのかもしれません。
ポール・バーンAI庁長官(左)と宮川学大使(右)
ダブリン市内のグリッド・ビヨンド社訪問(令和8年9月:写真提供グリッド・ビヨンド社)
今月、筆者は、発足41日目のアイルランド政府AI庁を訪れました。ポール・バーン同庁長官と7名の職員が草創期のAI庁を作り上げる姿を目の当たりにし、4年前に、日本とアイルランド両国首脳が発出した共同文書には、AIという言葉は入ってなかったことに思いを馳せました。その数日後、AIを駆使してエネルギー・ビジネスの最適化を導く企業「ビヨンド・グリッド」社にお会いし、更に、ポストAI時代も視座にいれて量子技術を小型化して、様々なビジネスに提供していく「イコール・ワン」社と面会しました。幸いなことに、アイルランドの企業、そして政府も、AI分野での日本との協力に前向きで、日本に拠点を作り、急速に協力やビジネス機会を拡大しています。
ジェイソン・リンチ「イコール・ワン」社CEO(左)と宮川学大使(右)(令和8年9月撮影)
ダニエル・オコンネル生家跡の記念公園(令和8年9月撮影)
なぜ、地理的には離れた2つの島国の間でAI分野の協力が進みつつあるのでしょうか。外交の場では、「我々はかけがえのない同志国である」との言い方が良く使われます。同志とは、文字通り志を同一にすることです。日本とアイルランドの場合、単に志を一つにしているだけではなく、お互いの心の底に共通の価値観、ものの見方があります。
例えば、生きとし生けるものには、魂が宿る。というと、やや迷信めいて聞こえるかもしれません。庭の木、海辺の石、道ばたの花や、さまざまな動物にも。私もアイルランドの友人と話していて、「そうですよね」と思わず意気投合してしまうことが一度ならずありました。オコンネルの「モンスター集会」。会合に集った大勢のカトリック教徒の心の底には、同じ志という木が、深々と根っこを張る土壌、即ち、共通の価値観、信仰があったと拝察します。
では、将来、AIを巡る日本とアイルランドの協力は何をもたらすでしょうか。日本とアイルランドの心の底で共通するのは、自然に対する畏敬の念だけではありません。国際社会の平和は、法の支配を徹底することによって維持される。即ち、両国は、「みんなで作ったルールは、みんなで守りましょう」との1点について、強い信念を共有しています。両国関係は、共通の価値観という豊かな土壌に根を張る志が貫いています。今、国際社会は、AIのあり方について、共通のルールを策定し、信頼できるAIの普及に向けて、努力を重ねています。日本とアイルランドは、共通の価値観をもって、このルール作りにおいて重要な役割を果たせます。
ダニエル・オコンネル生家跡の記念公園(令和8年9月撮影)
ケリー県の岬から遠くスケリッグ・マイケル島(中央右奥の2島)を望む(令和8年9月撮影)
明日から10月。ダブリンでは、AIサミットが開催されます。アイルランドが英知を結集して主催する会合。信頼できる人口知能の実現に向けて、また一歩前進できるものと期待します。
季節の変わり目ですが、読者のみなさまのご自愛のほどをお祈り申し上げます。来月、アイルランドのどこかか、このページで、またお会いできることを楽しみに。
敬具
駐アイルランド日本大使
宮川 学